かみさまのことを、もう少し詳しく書こう。人妖のことは本当はもう、どうだっていいんだ。消えて流れて、それからまた生まれる。その一つ一つの運動の周期を支配しているのはかみさまだ。かみさまの本質がよく見えるのは、小さなかみさまのことを観察している時だ。だから八百万分の二に過ぎないあのかみさまたちのことを書こう。

(中略)

よく耳を澄まして聞いてみるといい。夜の、紫紺の色をした闇の中に虫の声がするだろう。瑠璃利、玻璃利と鳴いているだろう。番う蟋蟀虫の中に、孕んだ一匹が居たならば、必ずその段々になって節くれた腹の中にはかみさまがいるのだ。穣子という名前をした豊穣の神様がいるのだ。

あるいは昼の、薄暗い森の木漏れ日も絶えるような下草の影で腹を見せて引ッ繰り返っている蝉の断末魔の声が絶えるその時に、羽を震わせたその最後の動力の中に、静葉はいる。枯死と老いと紅葉とが一体混然となって静葉となり、秋に死に逝くものたちを導いている。

(中略)

からからと笑い声が空を駆けていく。夕暮れの赤色。姉妹は混ざり合って手を取って踊る。光は糸になって布地を織り、ひらめいてよく動く二対の脚を隠す。

「まあた孕んだ」

「まあた殺した」

「悪い子ね」

「姉さんも」

「ズベ公」

「殺し屋」

お互いのそしり口を言う声。悪いつむじ風が山に吹く。

(中略)

「終わったね」

まぶたをそっと閉じてやって、静葉は言った。

「始まったね」

僕たち野ねずみを手招きして、穣子は言った。

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